私たちの町にあった戦争 3年生
更新日:2024年3月15日
戦争下の西東京市を考える 令和6年3月8日
アスタ西東京の方にお越しいただいて西東京市で実際に起こった太平洋戦争当時ののことを中心にお話をしていただきました。北条氏の時代から宿場町だった江戸時代のことや、鉄道が発展した明治時代の歴史から始まり、西東京市の話を分かりやすく話してくれました。特に戦争に関係ある「中島飛行機」という軍事工場があった西東京市についてお話くださり、なぜ、西東京市にも爆弾が投下されたかについて詳しく知ることができました。
体育館で3年生が全員聞きます。
生徒は西東京市に住んでいても知らないことが多いことに気が付きました…
インターネットや本で調べても実際の話とは詳しさが違うことに気が付きました。
歴史に「もし…」はないことが分かりました。西東京市の運命の偶然に生徒たちは驚きました…
戦争は自分たちの生活とは無縁でないことを学びました。ありがとうございました。
生徒たちの主な感想
- 自分ちが住んでいる町は昔、なんの罪もない人たちが被害にあい、焼け野原になったと知って心が痛みました。時が経つとそのような出来事が薄れてしまうので今回の胡淵は次の世代へ語りつくべきだと思いました。
- 市内にある平和のリングや慰霊碑について今まで深く考えることはなかったので、自分の戦争に対する認識の甘さを再認識する機会になったと思う。図書館にも資料があると聞いたので是非読んでみたい。
- 西東京市に住んでいて調べ学習をして、すべて知っている気になっていたけれど、実は平和のリングの下に防空壕がって31人もの方がなくなったなど、知らないことが多くあった。今も戦争が起こってる今、現地の人たちはこんな怖い思いをしているのかと考え、胸が痛んだ。
- 今まで歴史の授業で戦争を学んできたけれど、中島飛行機のことは知っていたけれど、数字ではない実感は感じなかった。しかしいつも行く場所で起きた戦争を体験談として聞いたことで、戦争は遠い場所の出来事ではないと改めて感じた。
- 今回の内容が親から子へ伝承されていることはとても価値があると思う。戦争の地獄を見た人が亡くなってしまったら、そのことを知ることができない。だからこそ今回聞いたことを知識ではなく、記憶として、私たち一人一人が深く考える必要があると思った。
- 戦争のむなしさ、無謀さが分かりました。戦争となると日本で多くの被害があったことに目が行きますが、日本人も海外で多くの人を殺していたんだと思いました。
- いずれこの戦争のことや原爆のことを忘れてしまう人が出ると思います。私はこのことを埋もれさせないために、教えていただいたことを次の子どもたちに伝えたいです。