更新日:2011年11月22日
田無小の歴史は、この人物を抜きにしては語れません。武蔵国の士族 刑部鉄太郎の次男として四ッ谷に生まれた真琴。
10才から漢学や書を学び、駿河国に移住したのちは、同地の学校で習字専門教員を務めながら、珠算や数学の修行も続け、明治5年(1872)開港で賑わっていた横浜に出ました。
さて、この明治5年は、明治政府が全国に5万あまりの小学校を設置する「学制」を定めたときです。
この「学制」は、小学校は下等4年、上等4年とし、半年ごとの進級試験と卒業試験が定められてました。