更新日:2011年11月22日
幕末のころ、賀陽 済(かや わたる)、田中 良白(りょうはく)、玉井 寛海(かんかい)を師匠とした寺子屋があったと言われています。 明治5年の学制を受けた田無村では、明治6年(1873)8月、今の総持寺隣りにあった密蔵院に「真誠学舎」を設立。そして、これを機に寺子屋は閉鎖されました。