二中のアンネのバラ
更新日:2020年6月4日
「Souvenir de Annefrank.f」(アンネの形見)について 令和2年6月3日
田無第二中学校の職員室と体育館の間に一本のバラが植えられています。このバラは特殊なバラで「アンネのバラ」と呼ばれているバラです。これは、平成10年5月に本校の校長だった廣瀬俊之先生と生徒会役員がともに植えたのものですが、残念ながらこのバラは途中で枯れてしまい、それ以来なくなっていました。
しかし、平成30年に行われた二中の開校60周年記念式典に参加された廣瀬俊之先生がこの状態を見られて、非常に残念に思い、すぐに二中に「アンネのバラ」を送ってくださいました。
二中の「アンネのバラ」4月終わりから5月最初の様子
アンネのバラはどんなバラ? どうしてつくられたの…?
「アンネのバラ」はつぼみの時は赤色で開花すると黄金色になり、時間の経過とともにサーモンピンクに変色し、やがて更に濃いピンクに変色するという具合に色が変わっていきます。
もちろんこの花を植えた理由はその美しさだけでなく、その由来にあります。「アンネのバラ」の正確な名称は「ス−ベニア.デ.アンネフランク.F」といわれるもので、『アンネの日記』を書いたユダヤ人少女アンネフランクに関わりのあるバラです。アンネが亡くなって、アンネが自然をこよなく愛していたこと、特にバラの花が好きだったことから、ベルギ−人の園芸家デルフォルゲ氏 によってアンネの没後15年経ってから新しいバラの品種として作られ、最後まで存命だったアンネの父オット−フランク氏にも贈られたものです。この花は平和、そして差別のない世界の象徴としての世界中に広まっているのです。
オレンジからサーモンピンクに花が変化していることが分かります。
どうやって日本に伝わったの?
「アンネのバラ」は昭和46年にある教会の合唱団が、イスラエルの町ナタニヤで「アンネ日記」の著者であるアンネ・フランクの父オットーフランク氏と、偶然出会いました。そしてその後、オットー氏との交流を深めるなかで、オットー氏から「アンネの形見」と名付けられた可憐なバラの苗10株が日本へ送られました。しかし、当時は輸送事情が悪く、9株がダメになり、ただ1株だけが合唱団の一員であった教会の庭で、奇跡的に花をつけました。この1株が、日本での「アンネのバラ」の起源です。
どうやって増えたの?
唯一1本だけ根付き、昭和48年春、日本で始めての花が咲きましたが、樹勢も弱かったのでので、この苗からは増やすことはしなかったようでです。しかし、教会の人達が再びスイスに住むオット−氏を訪ねた時に、「アンネのバラ」も話題になり、「再会記念にもう一度」となり、今度は昭和51年3月に、打ち合わせた上で航空便で大阪空港で受け取り その日のうちに植えることができたようです。
大槻氏が7本を関西に運び、杉並区高井戸中の小林桂三郎氏は3本を東京に運んだようです。 移植の最適期で苗も元気でベストコンデェシヨンで成長していったようです。
全国に広がり、そして二中にも…
このときの苗は元気もよくそれぞれに増やされていったようですが、詳しくは分かっていないようです。
しかし、その中の1本を託された中に京都綾部市の山室隆一氏、建治氏父子がいます。隆一氏は日本で始めてアンネのバラの花を咲かせた大槻武二氏の甥でそうで、高校の教師だったお二人は使命感にもえて自宅の庭30坪位を苗場にそうです。総て野ばらに接ぎ木する方式で、挿し木より丈夫な 苗ができ、頒布は予約制で総て送料だけ配布し、約7000本を全国に発送したそうです。
3本を東京に運んだ小林氏は、立川の都立農事試験場の協力を得て万全を期して、杉並区立高井戸中学校で増やし、都立神代植物公園、学校、地域にひろめたようです。
杉並区立高井戸中学校の「アンネのバラ」についてはこちらに詳しく掲載されています。
二中の図書室にある「アンネのバラ」の本 高井戸中のバラを守ってきた話が本になっています。
東京の中学校ではこの杉並区立高井戸中学校のバラがとても有名です。
二中のアンネのバラ
ひとつの株から変化する色が楽しめます。
今は……
今は接ぎ木などによってインターネットでも販売がされている「アンネのバラ」ですが、平和を願う心と偏見をなくす心の象徴として今での大切にされているものです。
ぜひ二中のみなさんもこの歴史的に意味のあるバラをまずはどこにあるか探してください。そして大切にする気持ちとその意味を心に刻んでください。
次の花をつける準備中の5月末の「アンネのバラ」
二中を差別や偏見がない学校にするために、そして平和な学校にするために……その象徴として「アンネのバラ」を覚えておいてください
現在新型コロナウイルス感染症に対する偏見や差別が心配されています。また世界的に様々な差別が話題になっています。学校においては自分も相手も同様に大切にする心をもって過ごせるようにしていきたいと思います。