明保中学校の歴史 その1 開校から昭和57度年まで(1983年3月まで)
更新日:2021年12月13日
昭和53年4月から昭和58年3月までの明保中学校
明保中学校は昭和53年4月に保谷地区で5番目の学校として現在の住吉小学校を借りて開校しました。当時は人口増加で生徒数も増加しており、緊急対策としての開校でした。校舎は鉄筋コンクリート4階建て、教室数は19でした。
明るく開けゆく保谷の学校を目指して「明保」と名付けられたともいわれています。初代校長は神戸恭三郎先生、最初の生徒数は289名でした。(1年生144名、2年生145名)
昭和53年度
校舎は今の住吉小学校です。北に西武池袋線、隣には保谷高校も見えます。
当時の2年生はひばりが丘中学校から137名、青嵐中学校から7名が明保中学校の生徒となりました。教員数は25名でした。体育館はありましたが、校庭は未整備のため、5月から工事に入り、同様にプールも屋上に施工工事に入っています。開校記念日は当初は5月4日として行われていました。
完成したばかりの最初の明保中学校(現在の住吉小学校)
校章は、開校当初の美術科教員だった金子栄治教諭の作成によるもので、
全体の形を三角形にしたのは、故事にも三本の矢の話、また三角形は非常に強い力を内蔵すると同時に全ての方向に対応する形であり、発展性を含んでいるから採用されました。また、竹(笹)は風雪にに一苦難に耐え、それを跳ね返す力強さを表しています。上部の左右は竹の節を表し、生徒のけじめある姿を、周りの笹の葉は5枚で、これは保谷市開祖といえる保谷出雲守の直政の家紋です。全体に簡素な感じに表したのは生徒の素朴で雅やかな面を企図したものです。
第1回の運動会の様子
運動会は10月に実施
最初の文化祭の様子
今の教育目標が制定されたのは、開校年度、昭和54年2月です。
平和で民主的な社会の形成書として心理を求め自主的精神に満ちた人を育成するために次の目標を定める
進んで学び 心身ともに健康で 思いやりのある人になる
同時に3月に校歌も制定されました。
1年生遠足 顔振峠
昭和54年度
二年目の明保中学校、新入生142名が入学
標準服は今と同じです。
2年生の移動教室は富士・山中湖
開校当初のジャージは緑色
みんなで楽しくレク
昭和55年度
この年には教室6、学年ホール3の校舎が増築されました。生徒数は482名。
遠足で伊豆ヶ岳
ピアノを真ん中に体育館での合唱コンクール
昭和56年度・57年度
翌年の昭和58年夏には今の明保中学校の場所に生徒は移っていますので、この昭和57年度が現材の住吉小学校での最後の年となります。
57年2月には「教師と保護司の会」ができ、運動会や作品展に保護者の参加も多くあったと記録にはあります。
この頃の運動会は組み体操。
昭和53年4月1日 | 保谷市の第5番目の学校として開校 |
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4月6日 | 始業式 2年生144名で挙行 |
4月7日 | 第一回入学式 |
4月26日 | 標準服制定 |
5月29日 | 1,2年生合同遠足、高山不動へ |
5月30日 | 校庭工事竣工 |
6月5日 | プール工事竣工 |
7月19日 | 校章制定 美術科 金子栄治教諭の作成 |
10月7日 | 第一回運動会 |
10月9日 | 第一回写生会 東大田無農場 |
11月2日 | 第一回文化祭 午後から合唱コンクール |
昭和54年2月21日 | 教育目標制定 |
3月22日 | 校歌制定 |
5月20日 | 最初の修学旅行 京都奈良方面 |
12月17日 | 東側9教室増築工事 |
昭和55年3月19日 | 第一回卒業式 |
4月1日 | 校章制定 校旗作成 |
5月31日 | 東側増築工事完成 |
10月14日 | 北多摩中学校美術研究会開催 |
11月7日 | 北多摩中学校特別活動研究会開催 |
昭和57年2月26日 | 教師と保護者の会発会式 体育館 |
明保中学校の歴史 その2 新しい校舎建築と昭和58年3月まで(1984年3月まで)
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