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西東京市立谷戸小学校
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校歌紹介

更新日:2021年11月30日

作詞:宮田 重雄 作曲:芥川 也寸志

1 白雲は 秩父にかかり
 水清く めぐる多摩川
 若草は 野面(のもせ)にもえて
 ここに建つ ああ谷戸 われらの母校
2 世の人の 栄えのために
 日を月を いそしみはげみ
 よろこびの 歌声高く
 ここに学ぶ ああ谷戸 われらの母校
3 武蔵野の 歴史をついで
 富士の嶺 見守るところ
 菊の花 ゆたかにかおれ
 ここに誇る ああ谷戸 われらの母校

校歌 楽譜


瀧島 喜代治(喜峰)様の校歌の書です。(平成7年)


作曲者 芥川也寸志 様の直筆の楽譜です。

校歌 音源

校歌策定にまつわる作曲者、作詞者のエピソード

谷戸小学校の校歌がなぜ
作詞 宮田重雄 氏
作曲 芥川也寸志 氏
となっているのか、私の知っていることを記してみます。

 宮田先生は、慶応大学医学部卒業の医師で、徳川夢声氏をはじめ、才能豊かな方々が集められて、NHKで「二十の扉」いう番組をやっていた時の、レギュラー出演者でした。そして、博識の才能を発揮していらっしゃった方です。
 今の住友重機工業(株)の前身、日特金属工業の時代に日特金属は、国の軍事工業を業務として、兵機(器)の製造を担っていました。その日特金属の付属病院として発足したのが今の田無病院です。
 しかし、日本が戦争に負け、そのままだとアメリカ軍に接収される恐れが大きく、日特から切り離して、田無町の市民病院として、今の田無病院となりました。
 そして、初代の病院長として、宮田重雄さんが就任し、今も宮田さんの家系の方が引き継がれています。今の事務局長の宮田さんも、谷戸小学校・田無二中の卒業生です。
 初代の宮田重雄さんは、医師でありながら、絵を描き、詩や詞を書き、文章も書くという、才能豊かな方であったようです。
 この宮田さんを通じて、同じ慶応のお仲間であった芥川さんが作曲をなさったということなのです。
 
 谷戸小学校の校歌すごいですよね!!
 私は、谷戸小学校の校歌をうたう時に、いつもこの事が頭に浮かびジーンと来るものがあります。

令和三年十一月十五日  地域のものより


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